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万燈照国 第1部

【第1部】挑戦という試行錯誤の先に、人生を生き切る軸を見出していく

池田:田中さん最初に会ったのは10年ぐらい前だったよね?

田中:そうですね!僕が石川県出身のサッカー小僧だったので、当時、北信越地域で唯一のJリーグクラブ・アルビレックス新潟を築き上げた「池田さんにお会いできる!」ということで舞い上がり、正直何を話したか全く覚えていないですね(笑)

池田:私自身、「こういうことをやりたい!」と、大きな夢やビジョンを持って踏み出していく若者が大好き。しかし、その時点でどうなっていくか分からないし、最低限、信念や夢を持ってなければ絶対に事業は成功しない。中でも、田中さんの目からは、キラキラ光る夢や希望をすごく感じた記憶がありますね。

田中:当時は『こんなことも、あんなことも沢山仕掛けていきます!サッカーでは日の丸つけられなかったけど、ビジネスでは日の丸つける事業を築きます!』と、自分自身の想いというか、情熱をただただぶつけさせて頂いただけでしたね(笑)。

池田:でも、キラキラ光っていたよ(笑)とにかくチャレンジする、という熱意が伝わってきた。今までの経験上、やってみなければ見えない。「自分が何者か?」という自問自答も含め、人生は「どういう生き方をするか」ということを探す旅。チャレンジしなければ探す旅にも出られない。事業を起こしながら探す人もいるし、世界中旅行して気づく人もいるし、色んな出会いから見えることもある。だからこそ、様々な経験という試行錯誤の先に、智慧の燈火プロジェクトに行き着き、「自分はこれで生き切る!」という軸を見つけたことが素晴らしい。

田中:池田さんが「新潟で生き切る」と仰っているように、今の自分は日本が世界に誇る長寿企業の知恵を次の時代・次の世代へと遺していく「智慧の燈火プロジェクトに、生き切る!」と覚悟しています。池田さんのコア事業として、“人材教育”の分野がとても大きなウエイトを占めていると思いますが、どのようなきっかけがあったのですか?

池田:42年前に事業を起こしたのは、1091年前に完成した書物「延喜式」に掲載されている、新潟最古の神社に後継者として生まれ、神社を守らなくてはいけない立場にあったから。しかし、以前はその神社がある古町は大変な繁華街でしたが、シャッター通りになってしまい、お宮だけで生活していくのが難しくなりました。

そこで、「何かをしなければいけない、第二創業をしよう」と決意。神社やお寺は昔から地域の寺子屋的な教育機関の機能もあり、神社で始める事業として教育は親和性が非常に高かったため、境内の一角に学習塾や語学教室、資格取得スクールなどを開きました。神社というベース(基盤)があったからこそ、地域の方々から最初から信用し利用して貰えたのだと思います。それが、教育事業の始まりであり、今の私自身のコアを築きました。

田中:つまり、積み上げてきた土台を遺しつつ、時代と共にお客様から必要とされるものに変革していく、ということですね。

池田:常に「神社を守っていく」という意識はありました。その中で、若者が東京など首都圏へ流出していくのを何とか食い止めよう、“ストップ・ザ・東京”という思いで東京に負けない学校を立ち上げていった結果、32校の専門学校、2つの大学&大学院、数多くの学習塾や様々な民間の教育機関の運営に至りました。その後、医療介護系専門学校の運営がきっかけで、高齢化社会という時代の流れもあり、医療施設や介護施設等の事業に参画し、現在164事業所を新潟県内と首都圏にて展開しています。更には、若者が定着するには魅力ある職場が必要と考え、新しい事業の創造に積極的に取り組んでいます。

田中:まさに、伝統とは革新の連続。現代風に言うと“イノベーション“の実践。だからこそ、生き残り、信用を築いている…僕自身、様々な長寿企業の皆様とお話をさせていただく中に実感しています。そして、池田さんと言えば「アルビレックス新潟」という印象が強いのですが…なぜ、サッカー経験がない中で、プロサッカーチームの経営を担われたのでしょうか?

池田:5年、10年、20年と事業を拡大していく中で、「新潟県をもっと活性化していかなくてはいけない」という強い想いと、地域の魅力づくりという地方創生の課題が湧き上がってきたんですね。その中で、「アルビレックス新潟というプロサッカーチームを作る。その社長を引き受けて欲しい!」という依頼があり、スポーツチームは地域にとって物凄くインパクトのある事業になると感じ、お受けしました。結果的に観客動員を日本一(2002~2005年)まで育てることができましたが、そこまでの道のりは険しいものだったね、本当に(笑)(※当時のお話は第3部で・・・)

その後、サッカーだけでなく、バスケットボールや野球・レーシング・スキー・スノーボード等、様々なスポーツへと展開。日本で初めて、アルビレックスという統一ブランドの総合型スポーツクラブを作り、地方創生・地域活性化にほんの少しでもお役に立てたことは大変うれしいことであり、スポーツを通して地域・地元が活性化し、新潟県に足を運ぶ県外の人達の増加にも繋がったのではと感じています。

田中:率直に“凄い“の一言しかないです(笑)新潟での街おこし、地域再生というビジョンを掲げ、寺子屋という形で教育からスタートし、その教育事業から人を育て、事業を創造&再生し、更にはスポーツを通して地域の皆が盛り上がれる文化を築いてこられたこと、そして、愛する新潟を発展させていくことに徹し、その地域活性化の知恵を他エリアへ授けられていること。まさに、「新潟の発展と人材教育」という信念を貫かれた、池田さんの“ものがたり”が、格好良いです!

池田:授けるというより、実践して様々な試行錯誤を示してきたんだよね。16歳でお宮の後継ぎを決意した際、先細りしていくシャッター通りの中で、事業を継続するというのは非常に厳かった。だけど、第2創業しながらも、「お宮を守っていく」というブレない軸を持ち続けたことが、「新潟で生き切る」という私のビジョンに達した。100年以上の歴史を誇る長寿企業はそこ(地域・地元)をベースにして生き切る、もしくは、その地域の中核として事業を発展させ、グローバルに成長させている。どちらにせよ、長寿企業の軸(アイデンティティ)は地元・地域にあると思う。

 


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2019-04-25T16:48:53+00:00